即興小説イベント

鬼席は空席(仮題)

この世界においてまだ成長が未熟な少年少女は価値が高い。というのも、遺伝的な要素は強いものの、成長期の体験を経て成年になると様々な異形、異能へと変態するのだ。

故に、この世界において幼ければ幼いほど命の価値は高いのだ。ある程度の個体差はあれど、如何様にも望む便利な個体を作り出せるのだから。

家族を持たない幼体は、まず施設で一定の教育を受ける事になる。出産が極端に多い成長体は全ての子供を育てられないので、国が施設への預け入れを積極的に支援していた。場所によってはマーケットに出すために一度に多く産卵できる成体を雇う。どれだけ生物として人型と離れた成長をしても、産まれた時は一様に人の形をしている。

少年は、マーケットに出す為に産み落とされた卵の一つだった。母という事になる人は鰺の人魚らしく、よく中庭で泳いでいるのを見かけた。この母性のなさも、施設が魚型の成体を出産用に使いたがる理由のひとつだろう。

魚は多く産むが、幼体は死にやすい。骨は脆く、皮膚は透けるように薄い。成長するまでに数多くの兄弟が死んだ。

その為、滅多と外には出せない。皮膚が透けなくなった頃に初めて死の確立が少なくなるのだ。まだその渦中にあって皮膚が「透けるように白い」少年は、高い塀の向こうをぼんやりと見ていた。

「あら、出かけるの?もう暗いのに」

中庭に設置された正方形のコンクリートに水を張っただけの大きな池の縁に肩肘をつきながら、母のようなものが少年に話しかける。

「ちょっと、外の世界が知りたくて」

「そう。それも良いんじゃないの」

もうすぐに少年の体は丈夫な骨と皮膚を揃えて売り時が来る。逃げるつもりはないが、その前に一度外の世界を自分の足で見てみたかった。

深夜に少し、ほんの少し、幼い頃に誰もが持つ好奇心で少年は高い塀を越えた。

それを何も言わずに見ていた母は、特に何の感情もなくゆらゆらと水面を揺らす。特に愛情は感じない。そういう風に幼体を過ごし、望まれるように成体になった。この仕事は天職とは言わないが満足している。だが、朝になっても少年が戻って来ないとしても、彼女は職員に告げ口しないだろう。

収容されていた施設は、内側にいた頃は窮屈に感じていたが、いざ外からその外壁沿いを歩くと思ったより広大な施設だと解る。無機質な白い壁がどこまでも続いているように錯覚する。

どこか、とういう当てはないが、ある程度の外の世界については教育を受けている。ここが都心部の施設で、ある程度歩けば授業で見たような光景が広がっているのだろう。

着の身着のまま、明らかに施設の子と解る格好で出る迂闊さ、都心の夜となれば治安は悪くなるという事など、習わなかった事は少年には知りようがない。

路地を歩いていくと、段々と乱雑に捨てられたゴミが増え、真っ白だった壁も落書きだらけの材質違いの壁が所狭しと並ぶようになった。道にゴミが落ちているなんて信じられない気持ちで少年は尚も歩く。

「何してんの、迷子?」

少年が三人は入りそうな大きなパーカーに窮屈そうに収まっている鱗だらけの男が目敏く少年を捉えた。爬虫類は夜目が利きやすい。目の前に立たれて路地を塞がれた。

「いいえ。ちょっと、外を見てみたくて」

答えると、無遠慮に男が上から下まで少年を見回す。

「お前、まだ成長期だろ。こんなとこいていーんか」

「本当はダメです。あっちの方から来ましたので、少ししたら帰ります」

指さすと、着た服と方角でどこの施設から来たか解ったようで、にんまりと笑った。

「ああ、あそこって確か鰺の女がいるとこだろ」

肩を掴まれた少年は、服越しでも伝わる冷たさ爪の質量に鳥肌が立った。

 

「オレ、まだ鰺の子は食ったことないんだよな」

 

「やめとけ」

巨体の裏から声がして、その図体が何かの衝撃を受けて揺れる。いてっと男が衝撃に少年から手を離す。

少年は、固唾を飲んでそれを見守った。というより体がうまく動かなかったのだ。

どけ、と後ろから指示された鱗の男が窮屈そうに端に身を寄せる。その隙間から別の男が顔を出した。

両方のこめかみ、右側の頭部にかけて黒や臙脂の角が大小生えている。黒髪の毛先に薄い緑のような青のような色が入っており夜にも遠目に解りそうな派手な頭をした男が立っていた。

「こ、こんばんは」

「ハイこんばんは。行儀が満点だね。あじろさん所の子か」

少年が少し怯えながらも挨拶をすると、男は少し尖った耳に付けた6つのピアスを弄りながら返事を返してきた。母にあたる名前を言い当てられ、施設を知っている人だと少年は一気に怯えを払拭した。それが態度で解ったのか、男は呆れている。

「あのね、ここはお前みたいな子魚ちゃんが来るとこじゃないの。解る?」

「どうせ捨てられたとか脱走したとかだろ。なぁササゲ、食っちまおうぜ」

「お前な。その名前で呼ぶなよ。ここでは鶏児」

というか子供の前でいらんこと言うな。強く肩を叩かれ、巨体の男は情けない声を出して涙目になる。

何事か話しているのをぼんやり眺めながら、少年は可笑しくなってきて笑った。

「お二人は仲良しなんですね。親友がいて羨ましいです」

率直に述べた感想に巨体の男は悲鳴をあげ、全身の鱗を逆立たせた。角だらけの男は、顔を覆って高らかに笑った。

 

これが、二人の出会いだった。

 

「お前、中々度胸あんな。無知だからか、それとも勇敢か。どちら由来かはさておき。しかし少なくとも、今夜お前は最高にツいてるね」

言って、鶏児と名乗る角の男が顎をしゃくって合図すると、傍らで少年の言葉に未だ巨体を覆う鱗を逆立てて気味悪がっていた男は慣れたように路地の壁を這って張り付き、少年と鶏児を隔てていた通路を空けた。

じゃらじゃらと付けた装飾品の数々、片手にエナメルのショートグローブを付けた男は少年の手を恭しく取ってにたりと笑う。

「こんな掃き溜めにようこそ。最初に出逢ったのが俺で良かったね。この街で一番の当たりだよ」

最初はオレじゃないのか。頭上から聞こえた声に近くにあった巨漢の尻尾を鶏児が叩いた。

「ここですぐに帰れなんてのは芸がない。今宵、お前は街一番の幸運な小魚だ。あの高い塀を越え、その当たりクジを掴んだんだ」

どうしたいか選べと、重そうな角だらけの頭を傾げて問う。

確かに、ここで帰ってしまっては味気ない。この先いつ出て行けるかも解らないし、外へ出られるにしてもこのままどこか遠くへ連れられてしまうかもしれない。

「なら、そうですね。できたらこの街をもっと見てみたいです」

「それはいいな小魚ちゃん。最高の一夜にしてやろうじゃないか」

小柄とはいえ少年の体を軽々と横抱きにし、狭く暗い路地を僅かに照らしている光の方へ歩き出す。巨体の男も後ろから付いてきているのが鶏児の肩越しに見える。

 

ほどなくして路地を抜けると、夜中だというのに人の往来が絶えず笑い声と怒声が其処彼処から響き、見渡す限りずらりと立ち並ぶ露店が並ぶ活気と胡乱げな空気がそこらに充満していた。煌々と白むほど夜を照らす。

初めて目に飛び込む極彩色の灯りに目を回していると、巨体の男がのそりと人混みを掻き分けて近場で一番高い建物に目を付け、露店の間を通り五階建てほどのビルに登る。その後を追って真下に着くと、鶏児は少年を抱いたままぐっと膝を降り、一気に跳躍した。途中で壁に這ったままの男を踏み、ビルの屋上まで辿り着く。

少年は降ろされつつ、屋上まで這ってきた男に声をかける。

「大きな男の方、大丈夫ですか。怪我していませんか」

「あ? こんなもんで怪我するか。舐めんな」

「たしかにすごく丈夫な肌ですもんね。羨ましいです」

「お前すぐ死にそうだもんな。ってか、シロオニだから、名前」

照れたようにつるりとした小さな鼻孔から空気を短く噴出し、顔を逸らした。少年はよろしくお願いいたしますとシロオニに頭を下げている。その様子を薄ら笑みながら鶏児は懐から紙巻きの煙草を取り出して火をつけた。

初めて見る煙草、嗅ぎ慣れない焦げたような甘い匂い。それは何ですかと問うと、鶏児はにやりと無言で吸い口を差し出した。

 

「吸ってみるか?」

勧められるまま口をつけ、鶏児がしていたように吸い込んでみると苦く慣れない煙の質量に咳き込んでしまう。

「変な味がします」

「これはろくでもない奴が飲むもんだ。小魚ちゃんは止めときな」

一利もないからなと、旨そうに息を吸い込む。じじと先端の火が紙巻きを燃やしていく。シロオニが苦い顔でそれを見ている。どうやらシロオニは煙草が嫌いらしい。

「そんなもん吸うなんて気が知れないぜ。それよりほら、坊主、下見てみろよ」

促されてビルの縁に手と膝をついて覗き込んだ。

 

大小と建物が並んだ大通りに沿って露店が雑多に軒を連ね、通路を縫うように渡った針金に無数のランタンが下げられており、細かく描かれた模様と光がゆっくりと絶えず動いては色も変化していく。

「綺麗なものだろ。ここらは形式こそ古いが活気もあって、都会的で無機質な所よりよほど良い」

遙か遠くにあって、それでも尚見える沢山の高層ビル群を見ながら鶏児は皮肉に笑う。

「あそこってもしかして第五地区ですか」

「そうだよ。知ってるのかい」

「はい、そこだけ写真を参照しながら最近習いました。他の区は文字でしか知らないのですけどね」

それって、シロオニが言うのを鶏児が目で制した。全九地区からなる広大な国の一つの区だけを教えられるのは、売られる先が決まっているという事を意味していた。

「でもあんなに遠くにあるビルよりも、近くにこんなに素敵な場所があったなんて、もっと早く教えてほしかったな」

少年は瞳に七色に移り変わる光を映して眼前に広がる景色を楽しげに眺めている。二人は少年に気付かれないように後ろを眺めると、首後ろに薄らと花のような模様が小さくついている。売られる先、務める職種が決まっている証だ。模様はそれぞれの家紋、色は職種を意味する。まだ幼体に見えるが、思ったよりも成長期の後半まで少年は育っているらしい。ここまで成長しているなら、もうどのように変態するかをある程度予想できる程教育の過程は済んでいるに違いなかった。

「…薄ら寒いねぇ」

「寒いですか。シロオニさんよりも肌が丈夫ではなさそうですもんね」

「小魚ちゃんには言われたかないよ」

笑って一つ伸びをすると、にやっと笑った。

「夜はまだまだ長い。それに、こうして会ったのも何かの縁だろ。こんな景色だけでこの街を知った気になってもらっちゃ困るからね、第三地区ツアー開催だ」

「今夜はぱーっとやろうって決めてたしな。魚も食おう、魚」

シロオニも頷いて少年の肩を軽く小突く。

「当たりクジの少年、お前が見たいもの、全部叶えてやってもいいよ」

少年は、もう胸がはち切れそうな思いで、白い頬を紅潮させるのだった。