日常の切り貼り、積み重ねたもの

こちらは永福千秋さんの2023年4月に開催の個展に寄稿した物語に寄せた、本編の間にあったやりとりの小話集です。図録読破後に読むことを推奨します

 

 


私設博物館の帰りにて

 

館長に別れを告げた帰りの車内に重苦しい空気が流れている。いつも饒舌な瞬禍が黙りこくって何かを押し出すように長い溜息を何度も吐いている。

「ほんとさぁ、あの爺…ほんっとさぁ」

「話の要点までが長い方でしたね。疲れましたか」

「いやそこじゃないから! 天使だの何だと、電波まき散らすのはお前の頭の中だけにしろよ。あー見てほら、鳥肌」

「運転中なので確認できませんね。あと、確か天使ではなく神の使いだったかと」

「どっっちでもいいよ。薄ら寒いことに変わりないないんだからさ」

しばらくまた無言になったが、信号待ちで止まっている時に瞬禍が車に付いているカーナビに無言で行先を打ち込む。ルートは高級な焼肉店まで伸びていた。

「あの、逆方向なんですが」

「だから? もう今日は肉だ。ぱぁーっと肉行こう。安心しなよ。実質無職の、預金残高が減る一方の、食の経験値が浅そうな、恩知さんに良い肉ご馳走してあげるからさ」

 不機嫌のままの瞬禍が当分面倒になることを身をもって理解しつつ恩知は言われるままにナビされる方へハンドルを切った。この日、酔った瞬禍が更に面倒なことをまだこの時の恩知は知る由もない。

 

 

 

 

 


中華飯店にて

 

交渉決裂したと思われた灯籠型の菌を三体手にしながら帰ってきた瞬禍に、適当に掴んで揺らさないでくださいと奪うようにして車に積んであった保管ケースに慎重に保定する。

「菌が飛沫する可能性は低いかもしれませんが、個体によって特性が違う可能性が高いのですから、適当に振り回さないでください」

「なに、もしかして怒ってるの?」

 注意を意に介さずにやにやしながら瞬禍が恩知を覗き込んでいる。その顔を至近距離から見つつ、嫌そうに眉間に皺を寄せ、それをまた瞬禍が笑う。滅多に感情を露わにしない恩知の様子が愉快らしかった。

「怒ったりするんだ。怒るんだね。へぇ。苛々しちゃったの?」

「もういいです。どこから振り回してきましたか。辿って床など確認します」

 素直に案内されるまま確認していき、結果厨房や従業員用の控室まで立ち入る事になったが、誰も彼等を咎めない。

「大まかにですが菌が発見されませんでしたが、今後は気を付けてください。とういか、客席側にあったのに何故あんなところまでこれを持って歩いてるんですか」

「もう貰えるって解ってるんだから”お願い”する前に客席通るんだから持ってた方が帰りに取りに行く手間省けて早いでしょ」

 相変わらず傲慢と自信が服を着て歩いているような瞬禍に閉口しながら、車に乗り込む。しばらくして、恩知はふと気付く。

「帰りに菌を回収する手間を省力した結果、菌の飛沫を確認して回る手間が増えたのでむしろ時間短縮になっていないのでは」

「それは恩知さんがやりたがったからじゃん。考えてみなよ、ずっとあれが下がってた真下の床や壁に菌が株分けされてなかったし、持ち歩いたところで菌が飛び散る可能性は低いでしょ」

 

 その可能性が解っているなら伝えてくれれば良かったのではいう文句と、気付けなかった自分への自責の念で車中で恩知が口を利くことはなかったが、瞬禍は終始笑っていた。


アイドルが所内から去った後

 

「非売も含めてサイン入りのグッズ貰っちゃったね」

 二人分のグッズをお礼だと持ってきたが、持て余していた恩知は何故彼が嬉しそうなのか解らない。

「欲しいなら私の分もどうぞ」

「遠慮なく。こういうのは持っておいて損はないよ。あらゆる分野に手札持っておくと後で便利だからね」

 どんな時に便利なのかは碌な話でもなさそうのなので聞かないが、もうアイドルを辞めるという女性の物が役に立つ時は来るのだろうか。疑問に思ったが、そもそも芸能人に疎い恩知はそういった物の価値が解らないので考えても意味がない。

「そういえば、小さな頃から全くテレビとか見なかったの? そんなだと友達とかと話あわなかったでしょ」

「話すような関係の人は殆どいなかったので特に困ったことはないですね」

「そっか。私が唯一の親友なんだね」

「……」

「なんでそこで黙るの?」

 

 あ、照れてるの。可愛いね。上機嫌で一人で納得している男を、否定も肯定もしない男は無言で日課の菌の観察を始めた。


収穫のなかった日

 

「あそこのコンビニ寄って」

「ああ、はい」

 菌ではなかった依頼の日、早朝に車で遠方まで行ったものの収穫なく昼下がりに撤収した帰り、瞬禍が言うままコンビニに停車する。

 クリームが暴力的に乗った珈琲やらご当地の菓子だとか移動中よく瞬禍が途中下車して買い食いに付き合わされたり、持ち帰ってくることが多く慣れた調子で待つ恩知に、こちらも慣れた調子で何も言わずに車を降りて瞬禍は一人さっさとコンビニに入っていく。

 帰ってくるのを待っていると、運転席の窓をコツコツと叩かれた。見るとコンビニの袋を下げた瞬禍が出てこいと手招きする。何事かと思い外へ出ると、行こうか。と歩き出した。

「どこへ行くんですか」

「ここらさ、前に来たことがあるんだよね。天気も良いし、ちょっと寄り道する」

 帰りたいのですが。とは言わずに了承して着いて行く。こういう時の瞬禍は否定させない力がある。強制ではないし、このまま置いていくこともできるがしようという選択肢は浮ばない。そもそも誰かに意見することが恩知にとって面倒なこともあるが。

 程なくして地元の人々が散歩したりするのがちらほらと見える土手に着いた。迷いなく芝生が敷かれた斜面を降り、中腹で座り込んだ。どうやらここが目的地らしい。倣って隣に座り込む。

「あ、これ恩知さんのね」

 唐揚げが刺さった串とカップに入ったアイス珈琲。自分はシュークリームの封を切っている。

「何がしたいのでしょうか」

「いい天気だしさ、たまにはこういうのもいいよね」

「こういうのとは」

「ちゃんと今日も情緒死んでるね~。この後用もないんだし、ゆっくりするのも大事だよ。定期的に日に当てないと恩知さんの陰気さできのこ生えてきそうだしね」

「人を原木として茸ですか。条件的にどうでしょう」

「ははは。この日差しとシュークリームの甘さでそういうクソ真面目さも許せるなぁ」

 そういって早々に食べ終えた瞬禍はごろりと寝転んだ。これ以上会話を続ける様子がないのを見て、恩知もぬるい唐揚げを冷たい珈琲で流し込む。

 上の方で犬の鳴き声。たまに指を差して何かにケチをつける瞬禍。ゆっくりと頬を撫でるあたたかな風がふく。流れる雲をぼんやりと眺めながら、夕暮れも過ぎる頃に瞬禍の腹の虫が鳴きだすまでそうして二人で過ごしていた。

 

 


Ifとして、Fiの後

 

「人生でさ、もしもって思うこと恩知さんもあるの」

「……。過ぎてしまった事を考えても仕方ないので私はありませんね」

「あー、っぽいね。でも一時の感情としてさ、頭の中で思う事くらいあるでしょ」

「ならまさに今、あなたはIfを考えているのでしょうか。でも事実は変わらないので現実を見た方がいいかと」

 恩知の所内に初めて訪れた瞬禍が菌の調査の協力を申し出てしばらく、いつも通り恩知が書いていた調書に記載した識別名を油性ペンで塗りつぶして勝手にFiとしようとした折、持ってきたペンからインクが漏れ出ていたことに気付かずに掴んでしまい手が黒く汚れてから明らかに機嫌が降下したのを眺めながら、恩知はIfを望むかという何気ない問いに詰まった自分を恥じた。

 

 パソコンに視線をやっていた恩知は、その一瞬の表情の変化を見ていた瞬禍の黒く光った瞳に気付かない。